太鼓台資料室  長襦袢  TOP

川之江町、金生町、そして妻鳥町の中下では、祭り衣装として長襦袢を着ます。川原町太鼓台が御堂筋パレードに参加した時、ユニークなファッションとアナウンスされました。全国的には祭り衣装の主流は法被と思われますが、この長襦袢の由縁をお知合いにお聞きしました。

管理人 「いつも思っているのですが、何故、川之江町の祭り衣装は長襦袢なんでしょうか?全国的に見ても珍しいと思うのですが。」
お知り合い 「確かにそうですね。まあ、姫路や、九州にも、長襦袢を祭りの衣装として使用している地域があるとは聞いていますが。それはそうとして、川之江の秋祭り、太鼓台の起源はご存知ですか?」
管理人 「確か、文化3年の祭礼行列次第及神事触に太鼓台の運行が記述されていて、予想ではそれ以前にすでに太鼓台があったとの事です。1806年の文献です。この間図書館から借りてきた川之江市誌で読みました。」
お知り合い 「と、言う事は、衣生活としては、着物の時代ですね。仕事着や屋内着とは別に、外出や、まあ、ちょっとしたお出かけの際には、特に秋冬ですかねえ、着物を着てその下に長襦袢を着ていたのです。現代に言い換えれば、着物がスーツで、長襦袢がカッターでしょうか。」
管理人 「それは何となくわかります。でもなぜ、祭りの衣装が長襦袢なんでしょうか?最初にお聞きしましたが。」
お知り合い 「う〜ん。まず、太鼓台をかく事を想像して下さい。着物のままでは着物が傷みますね。そこで、着物を脱いで、長襦袢になった、かく為にとりあえずは機能的な装いをした、現代の私達がブレザーを脱ぎ、カッターになるのとよく似た感覚ではないでしょうか。」
管理人 「それも何となくわかります。それでしたら、いっそう、ある時期よりもっともっと機能的な法被に変わる転換期はなかったのでしょうか?」
お知り合い 「現代の長襦袢の図柄をご存知ですよね。龍、山水、それから浮世絵等、様々です。もともと、長襦袢には図柄はありませんでした。あ〜、全体の細かい図柄はありましたよ。今はより個性的な物、他と違った図柄が好まれています。そして、太鼓襦袢として呉服屋等の店頭に展示されるのです。お分かりですか、私の言っている意味が?」
管理人 「なるほど、おそらく、川之江町のかき手は長襦袢に男伊達を感じていて、こだわってきたんですね、ある意味で、金をかけてきた、逆に目立つ為には女物の長襦袢を着た者も過去にはいた、川之江町は今後もずっと長襦袢ですね。」
お知り合い 「そう思います。私の町が大人太鼓台を持てば、私も迷わず長襦袢を着ますよ。」