太鼓台資料室   発祥時期考察 TOP 

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地 域  文献上登場  補 足  参考文献 
川之江  文化3年
(1806年)
 
最初に文献に登場する太鼓台は、中須、川原町、裏町である。3年後の文献では、前述3台に加えて西浜町(西之浜)が登場する。同じ漁師町である事から、西浜町が前述3台にかなりの期間(年数)遅れて太鼓台を建設したとは考えにくい。従って、この時期が川之江町の太鼓台建設の創世記では。現在の中須を1番に続く番号から見ても。又、この時期、交通の中心であった上分町にも太鼓台があったと想像される。川之江市の太鼓台発祥時期は今から約200年前、西暦1800年前後ではないでしょうか。 祭礼行列次第及神事触 
伊予三島 寛政元年
(1789年)
 
この年、神輿太鼓が各町内の寄付で建設される。  神輿太鼓
控覚帳
 
新居浜  文政9年
(1826年)
 
神輿太鼓をすでに文化の一環として記述している事から、それ以前に初めて太鼓台が建設されたと想像する。 一宮神社
年代記録
 
西 条  寛延3年
(1750年)
 
これはあくまで屋台(後のだんじり)登場の文献上の資料である。屋台はそれ以前にあったと想像する。西暦1700年前後だろう。その後江戸時代後期の伊曽乃大社祭礼の様子を描いた絵巻物では、だんじり18台に加えて、神輿太鼓(太鼓台)が5台描かれている。おそらく、神輿太鼓の出現は、だんじりの出現の百年後あたり、そう考えればやはり太鼓台の初めての建設は西暦1800年前後と考えてもいいのでは。  伊曽乃、石岡両神社祭礼文書 
三豊郡
大野原
 
寛政元年
(1789年)
 
この年初めて八幡神社に奉納されたという記述がある。又、文化4年(1807年)には3台に増えている。18年間に2台の新規建設があった。西暦1800年前後から本格的な太鼓台(ちょうさ)建設のきざしがあると想像する。  御神幸行烈入用覚帳