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其の一         


(序章)

 愛媛県の東端川之江市では毎年十月十三、十四、十五日の三日間、
秋祭りが実施される。そして、その秋祭りでは、神輿のお供として、
太鼓台が運行される。太鼓台の歴史は古く、出現したのは今から二百
年前だと言われている。時代とともに大型化し豪華さも増していった。
特に大人が担ぐ大人太鼓台は、高さ五メートル、かき棒の長さが十二
メートル、総重量は二トンを超える。金糸刺繍による金物飾りが装着
され、五穀豊穣を願って市内を勇壮に練り歩く。現在市内に二十数台
の、大人太鼓台があり、太鼓台を所有する町の住民は、秋祭りの訪れ
を今や遅しと待っている。


(一) 夢

 河端は突然眼を覚ました。酒は残っていたが頭は鮮明だ。白み始め
た空はもうすぐ朝が訪れる事を暗示していた。煙草に火を付け台所に
行き、無造作にコップに焼酎を入れる。そして湯を僅かだけ注ぎ、い
っきに飲み乾した。胸の熱いたぎりが少しずつ蘇ってくる。そう、こ
の調子だ、河端はたて続けに焼酎の湯割りを飲んだ。そして何度も一
人つぶやいた。「わしらは、来年、大人太鼓をかくんじゃ。」いつの
まにか、秋祭り本番十五日は雲一つない青空を広げていた。
 昨日十四日、栄町子供太鼓台はオアシス駐車場前で休憩を取ってい
た。子供達を引率する大人達もほどよく酔っていた。子供達を乗せて
大人達が運行する、すれちがう大人太鼓台を眺めながら、次第に蓄積
されたフラストレーションが一機に爆発し、ありのままの素直な感情
が、誰ともなく、自然と言葉となって出た。「どうせ、かくのだった
ら、大人太鼓じゃ、農人町が来年新調する、古い太鼓があまるけん、
それを格安で売ってもろたらええんじゃ、そうすれば、来年かけるど。
」夢を語る時間はあっという間に過ぎ、それぞれが帰路についた。興
奮はさめやらず、河端は時々、夢と現実のはざ間で、自分自身の考え
さえもはっきりとつかめず、何度となく寝返りをうって、朝を迎えた。
 何杯目かの焼酎の湯割りを飲み乾した後、河端は子供を連れ、玄関
を出た。秋祭り本番十五日はさらに、雲一つない青空を広げ、あたり
一面に太鼓の音が鳴り響いていた。


(二) 港の風景 農人町太鼓台

 十五日昼、栄町子供太鼓台は港へ着いた。昼食を取るためだ。誰も
が無口だった。途中、誰の口からも大人太鼓台を持とうという言葉は
は出なかった。河端はブルーシートに座ってビールを飲んだ。正面に
は、青く静かに海が広がっていた。やがて、空と海との境に神輿を乗
せた船が見えた。次第に腹に響きわたるような太鼓の音が近づいて来
た。そして、囃子の声が聞こえ始めた。河端は後ろを振り向いた。長
襦袢を着たかき手達が駆け抜けて行く。その中の一人が立ち止まり、
太鼓台に向かって怒鳴った。「はよ来い!時間ないど、持って来い!」
そして手招きをした。彼の長襦袢の龍が彼の背中を昇った。瞬間、「
よいさ!よいさ!」に囃子が変り、房が左右に揺れ、砂埃が地下足袋
を包みながら、太鼓台が彼を目指して急接近して来る。掛け布団の龍
は動じず、布団締めは互いに相手を睨み付け、金縄は踏ん張り、四つ
幕の御殿は地震に耐え、四本柱はギシギシと悲鳴をあげながら河端の
前を通過して行った。大人太鼓台が港へ集合し始めたのだ。やがて、
それぞれの町がそれぞれの所定の場所に太鼓台を置き休憩を取った。
 河端は視線の先に偶然、農人町太鼓台を見た。不思議な光景だった。
掛け布団を四枚付けていた。七重にはじゃのめ傘をさしていた。明ら
かに川之江太鼓台と様相が違っている。来年新調する故、昔の美しき
姿を再現したのだろう。河端は暫く眺めていた。そしてふと気が付く
と、そこにも不思議な光景を見た。栄町子供太鼓台を引率して来た大
人達全員もじっと農人町太鼓台を眺めていた。やがて潤二と目が合っ
た。潤二が言った。「台さえ手に入ればどうにかなりますよ。」河端
は頷いた。全員が大人太鼓台を持つという情熱を失っていなかったの
だ。
 来年新調する農人町が今彼等の視線の先にある太鼓台を譲ってくれ
るのか、農人町と交渉する事が活動の第一歩になる事を全員が感じて
いた。


(三) 打ち上げ会での誤算
 
 整理しなければならない事が幾つかあった。まず、農人町が本当に
旧太鼓台を手放すかどうか、もし手放すとすればその金額はいくらぐ
らいなのか、いずれにしろ、祭り気分が冷めない内に短期決戦で臨ま
なければならない。
 祭り後打ち上げ会が開催された。参加メンバーは愛護班の父兄と子
供達、全てが祭り当日、子供太鼓台を引率した者達ではない。途中、
班長の福山が大人太鼓台を持つ事を提案する。栄町は毎年、隣の市よ
り子供太鼓台を借りている、そして、レンタル料金を払っている、今
後数年のレンタル料金の合計金額を考えれば、十分農人町大人太鼓台
の中古を買えるのではないか、又、子供が年々少なくなっている、大
人太鼓台に移行するいい時期ではないか、そのような説明を添えての
提案だった。福山の提案に関して、思ったより反応は少なかった。む
しろ、年末の聖歌隊への実施計画で話が盛り上がった。
 自然祭り当日、子供太鼓台を引率した者達が一ヶ所に集まって来た。
酒が入り、少しずつ太鼓台へのボルテージが上がっていく。誰かが水
本にたずねた。「水本さん、農人町はどななんですか?」水本は、農
人町太鼓台の幹部に知人がいる。「まあ、今、高井君にあたってはお
るけどなあ。それが、太鼓持ったら持ったで、なかなか苦労するみた
いじゃなあ。」と、水本は誰の顔を見るわけでもなく静かに呟いた。
暫く沈黙が続いた。なぜなら、誰もが維持管理に関しては少なからず
不安を持っていたからだ、突然、その沈黙を破るように坂上が言った。
「ほんまに太鼓持ちたい人は、この紙に署名しょうや。ほんで、組織
創って自治会へ突きつけろや。」坂上が最初に署名し、用紙が回され
て行く。やがて出席者の殆どが署名をした。そして宴が終わり、テー
ブルの隅に置いてあったその用紙に河端が再び目を通した時、いつの
まにか数人が、自らの署名を斜線で消していた。その中には祭り当日
大人太鼓台を持とうと一緒に盛り上がった者もいた。とにかく太鼓台
を持つという事への情熱を持続させねばならない。同志の揺ぎ無い団
結には頻繁に顔を合わせる必要がある。以後定例会を開催する事が決
定された。


(四) 農人町の返事 
 
 農人町との交渉は水本と繁美が担当した。水本は農人町太鼓会幹部
と、繁美は農人町自治会の長老と交渉した。情報は錯綜していた。水
本の情報では、農人町は旧太鼓台を保管する方向で検討を始めている
との事で、繁美の情報では低額で譲ってくれるとの事だった。いずれ
にしろ、近日中に農人町太鼓会役員会が開催され、旧太鼓台の処分方
法が決定されるのは間違いないらしい。
農人町が旧太鼓台を譲ってくれなければ太鼓台建設をあきらめなけ
ればならないのか。全員が不安にかりたてられていた。突然河端に朗
報が入った。三島の西町にいらなくなった太鼓台パーツがあるらしい。
早速世話人と会う。揃わないパーツは、七重受け、高欄、掛け布団、
仮に農人町が譲ってくれなくても、各パーツを、西町を初め各地区か
らかき集めてくれば太鼓台を作る事ができる、太鼓台を作る方法の一
つを西町の世話人より教えられた。
 十月二十日、若手商店経営者で構成される栄進会の定例会が開催さ
れる。河端の町は商店街でもある。議題の一つに太鼓台を組み入れて
もらう。河端は少し緊張していた。はたして商店主に大人太鼓台を持
つ事への理解を得られるのだろうか。
 河端が説明に入ろうとした時、誰かが言った。「腰を折るようで悪
いけど、確かな筋から聞いた話では、農人町は売らんと結論が出たら
しい。」全員が河端の方を見た。農人町太鼓台の譲り受けイコール栄
町太鼓台建設という図式がすでに出来ていた。「現段階でそれが確実
な情報とは言えないし、大人太鼓台を持ったら来年からは祭りに参加
できます。いずれにしろ、皆さんが納得できるようなたたき台を持っ
て来ますのでそれからじっくり検討して下さい。」河端はそう言いな
がら、交渉相手が、農人町から三島西町に変わった事を感じていた。
同時に、栄進会会員の殆どが、保管場所、維持管理、かき手の確保、
風紀等に関して不安があり、大人太鼓台を持つという事は非現実的で
不可能であると思っている事を感じた。
 数日後、水本から連絡が入った。農人町が太鼓会役員会にて、旧太
鼓台を手放さない事を正式に決定した事を。